【訪問日】 2010/5/1 いよいよ本日のメインイベント、七尾城へ!! 噂通り、壮大な山城でした! | |
【七尾城の略歴】 七尾畠山氏の初代当主で能登国守護の畠山満慶が正長年間(1428 - 1429年)頃にこの地に築いたと思われるが、 当時の七尾城は砦程度の規模と見られ、行政府である守護所も府中(現七尾市府中)に置かれていた。 次第に拡張、増強され、以後約150年間にわたって領国支配の本拠となり、 五代当主である畠山慶致の頃には守護所も府中(七尾城山の麓)から七尾城へと移されたという。 その後、畠山義続・畠山義綱の頃に能登では戦乱が続いたために増築され、最大の縄張りとなったと言われる。 山麓に城下町「千門万戸」が一里余りも連なり、山頂にそびえる七尾城の威容は「天宮」とまで称されたと記録に残っている。 日本五大山城のひとつに数えられるほど強固な城であった。 1577年(天正5年)に能登国に侵攻した上杉謙信に包囲されるが、一年にわたって持ちこたえた。 しかし、重臣同士の対立の末に擁立されていた若年の当主畠山春王丸が長続連、遊佐続光、温井景隆らの対立を収めることができず、 結果七尾城は孤立し、最終的には遊佐続光の内応によって徹底抗戦を主張した長氏一族が殺害され、 同年9月13日に開城された(七尾城の戦い)。 この際、上杉謙信が詠んだ漢詩「九月十三夜陣中作」は非常に有名である。 (※しかし、実際にはこの詩は上杉謙信が詠んだものではないといわれている。) 越中国と能登国を繋ぐ要所である七尾城は、のちに織田氏によって領され、 城主として前田利家が入るが、既に山城の時代ではなく、拠点を小丸山城に移したため、 しばらく子の前田利政が城主となっていたが、のち、1589年(天正17年)廃城となった。 七尾湾が一望できる、石動山系の北端の標高300mほどの尾根上(通称「城山」)にあり、その尾根から枝分かれする行く筋もの 大小の尾根にも無数の砦を配置した大規模な山城である。 「七尾」という名は「七つの尾根」(松尾・竹尾・梅尾・菊尾・亀尾・虎尾・龍尾)から由来されるという。 | |
七尾歴史資料館。 おじさんが丁寧に城への行き方と周り方を教えてくれました。 | まずは、七尾歴史資料館で情報収集、そして 100名城スタンプゲット!! スタンプは資料館入口のポストの中に入ってました(^^; ここから車で本丸近くの駐車場まで上がります。 何とか対面通行できる程度のジグザグ道でした。 |
駐車場から本丸へ向かう道。 ウッドチップが敷かれて気持ちいいのですが、 昨夜の雨が染み込んでいて、ドカドカ状態。返って歩きにくい・・・ (^^; | 調度丸からの石垣。パンフなどで良く使われるアングルですね。 |
本丸。登った時にパーっと開ける景色が圧巻でした! | 本丸にある城址碑。青空が映えます! |
ほとんどの人が本丸だけ見て帰る中、 当然オイラは二の丸、三の丸も 見て歩きます。 しかし、これが超ハード!こんな感じの本格トレッキング! しかも50分くらい歩いたかな? おかげで、巨大な山城の大きさと過酷さを 体感することができました。 | その甲斐あって、この眺望が見られました(^^ (袴腰から七尾市街を望む) この辺りで、埼玉からやってきた歴女(?)の若い女性2人とお話することが 出来ました。やはり100名城スタンプを集めてるそうです。 しかし、このお二人、何と山麓の歴史資料館から歩いてきたとか! パンフによると所要時間150分って書いてあるじゃないですか! スゲー。でも「え〜、上にも駐車場あったんですか〜!?」と驚いていたので、 単に知らなかっただけみたいですね(^^; 同じ趣味の方と話が出来て嬉しかったです。 頑張ってスタンプ集めましょう!(^^ |
安寧寺跡にある 七尾城主畠山廟。 | 近くの「城山展望台」から見た「七尾城本丸」。 |