【訪問日】 2009/8/10 | |
【小松城 略歴】 天正4年(1576年)に加賀一向一揆方の若林長門によって築かれたといわれる。 織田信長の武将柴田勝家により攻められ、村上氏、丹羽氏が城主となった。 江戸時代になると加賀藩領となり、3代藩主前田利常の隠居城になった。 その後は加賀藩の支城となり、城番により統治され、明治維新を迎えた。 本丸には天守台が築かれ、天守の代用として御三階櫓が築かれた。 現在、城域はそれぞれ隣接する小松市役所、芦城公園、石川県立小松高等学校として開発され、 遺構の保存状態は良くないが、天守台及び内堀の石垣が残る。 建造物としては、鰻橋御門が小松市園町来生寺寺門に移築され現存し、 兎御門扉及び葭島御殿兎門扉が金沢市兼六成巽閣で、二階御亭入口扉が 小松市丸の内公園町小松市立博物館で、それぞれ保管されている。 小松城は、かつて明智光秀が朝倉義景から、要害の地はどこかと尋ねられた際、 「加賀にては小松あたり」(明智記)と答えたほどの要害の城であった。 | |
小松城址です。 小松市役所〜小松高校の辺りです。 写真の天守台石垣は小松高校のグランド 隅(テニスコートの横)にあります。 結構しっかりした作りの石垣です! | |
現地の案内板。 現在の小松高校グランドが本丸、校舎が 二の丸、芦城公園が三の丸にあたるみたいです。 結構大きいですね。 | |
芦城公園の一角に復元されている 常盤門。 | |
広大な芦城公園として整備されている 三の丸跡。 |