【訪問日】 2010/6/12 国宝・犬山城、ついに登城です! 小ぶりですが、とてもカッコイイ城。長良川の対岸から眺める姿がまたカッコイイです! | |
【犬山城の略歴】 【戦国時代・安土桃山時代】1469年(文明元年) 織田広近がこの地に砦を築いたのが始まりといわれる。 1537年(天文6年) 織田信康は居城の木ノ下城を廃し、現在の位置に城郭を造営して移った。 現存する天守の2階まではこのころ造られたと考えられている。 1544年(天文13年) 信康が斎藤道三との戦いで戦死して子の信清が城主となる 1564年(永禄7年) 織田信長との対立の末に信長によって攻め取られる。 以後、池田恒興や織田勝長などが城主を務めた。 本能寺の変後、織田信雄の配下の中川定成が城主となる。 1584年(天正12年) 突如として、かつての犬山城主でもあった池田恒興によって奇襲を受けて奪われた。 これはまもなく小牧・長久手の戦いの引き金の1つとなる。 戦後は再び信雄の城となるが、彼の失脚後は三好吉房などが城主を務める。 豊臣時代には石川貞清が城主となった。かつては、この時に美濃国金山城の天守を移築したという伝承があったが、 1961年(昭和36年)の解体修理の際の調査の結果、移築の痕跡がまったく発見されなかったため、移築説は現在は否定されている。 【 江戸時代】 石川貞清は関ヶ原の戦いでは西軍に属したため、まもなく没落した。 1601年(慶長6年) 小笠原吉次が城主となる。 1607年(慶長12年) 平岩親吉が城主となる。 1617年(元和3年) 親吉が没した後の6年間の城主の空白期間を経て、尾張藩付家老の成瀬正成が城主になり、 天守に唐破風出窓が増築される。以後徳川時代を通じて成瀬家9代の居城となった。 【近現代】 明治の廃藩置県で廃城となり、天守を除いて櫓・城門などほとんどが取り壊された。 1891年(明治24年)の濃尾地震で天守の東南角の付櫓が壊れたため、 1895年(明治28年)に城の修復を条件に旧犬山藩主成瀬正肥に無償で譲渡された。 また1959年の伊勢湾台風で被害を受けたため、1961年から1965年まで解体修理を行った。 2004年(平成16年)3月時点で日本で唯一の個人所有の城であったが、 同年4月に財団法人犬山城白帝文庫に移管されている。 | |
国宝だけあって、石碑も立派! | 本丸へと続く坂道。 |
本丸門。ここで入城料500円を支払います。 | 本丸門(櫓?)の上は管理事務所になっており、 百名城スタンプもここにあります。バッチリゲットしました! |
これが国宝・犬山城天守! ロンブー敦も絶賛のかっこいい城です! | 天守・唐破風部分のアップ。 |
土台の石垣は野面積みで、古い時代の天守であることが 分かります。 | 天守内はお馴染みのハシゴに近い急な階段。 ミニスカート厳禁です!(^^; |
天守最上階からの眺め。長良川下流方向。 | 天守最上階からの眺め。本丸門方向。 |
長良川の対岸から望む犬山城。 | アップで。実に美しい! まさに断崖絶壁に建つ堅城ですね。 |
本日のお土産 犬山城 犬山城キーホルダー(2種類) ちなみに右側の犬山城キーホルダーは 作りがちょっと雑・・・(^^; |