【訪問日】 2012/01/14 名古屋出張の際のわずかな空き時間を利用して訪問。 名古屋駅から地下鉄・桜道線、名城線を乗り継いで、「東別院」下車。(トータル7駅) 10分くらいで着きました。 駅からは目の前ですが、敷地面積が大きいので、正門までは少し歩きます。 | |
【略歴】 天文3年(1534年)、織田信秀が東南方に備えるために築城した城。 信秀は今川氏豊から奪った那古野城を、嫡男・織田信長(幼名・吉法師)に譲り、この城を拠点とした。 東西140m、南北100mの平城で四方を堀で囲まれていた。 天文15年(1546年)、信長は古渡城にて13歳で元服する。 天文17年(1548年)、美濃に侵攻した信秀の留守を狙い、清洲の守護代織田信友の家臣坂井大膳らが城下に 攻め寄せ、この際に町は焼かれたが、落城はしなかった。 同年、織田信秀は末森城を築いて移ったため、古渡城はわずか14年で廃城となった。 遺構として、真宗大谷派名古屋別院敷地内にある古渡城跡碑と、古渡城の堀跡を利用した下茶屋公園 (真宗大谷派名古屋別院に隣接)がある。 | |
駅から正門への途中にある参道の碑。 | 東別院正門。 |
本堂。 | 納骨堂。 |
敷地内に建つ城址碑と説明板。 | 城址碑と本堂。城址碑の横側には「信秀築城」と「信長元服」の文字が。 |
特等席の灯籠の上に陣取るハト(^^; | 城郭風の鐘楼。今は使われていないようで、1階は休憩所になっていました。 |
東別院に隣接する下茶屋公園。 | 古渡城の堀跡を利用して作られているそうです。 |