ダシオの館

久能城(久能山東照宮)


【訪問日】 2012/5/4
 G/W後半を利用しての静岡2泊3日の旅。
初日真っ先に訪れました。といっても渋滞に巻き込まれ、14時半ごろ到着です。
あいにくの曇り空+霧で、富士山は全く拝めませんでした・・・。

さすが、国宝の東照宮・拝殿は豪華でした!
【略歴】
久能山(標高216m)は、もともと日本平と共に、太古、海底の隆起によって形成されたもので、長い年月の間に浸食作用などのために硬い部分のみが残り、現在のように孤立した山となった。
推古天皇(592- 628年)の頃、久能忠仁が久能寺を建立し、奈良時代の行基を始め、静岡茶の始祖といわれる円爾など、多くの名僧が往来し、隆盛をきわめた。永禄11年(1568年)、駿府へ進出した武田信玄は、久能寺を矢部(静岡市清水区)に移し(今の鉄舟寺)、この要害の地に久能城を築いた。

しかし、武田氏の滅亡と共に駿河は徳川家康の領有するところとなり、久能城もその支配下に入った。
家康は、大御所として駿府に在城当時、「久能城は駿府城の本丸と思う」と、久能山の重要性を説いたといわれる。
死後、その遺骸は遺命によって久能山に葬られ、元和3年(1617年)には2代将軍・秀忠によって東照社(現・久能山東照宮)の社殿が造営された。

秀忠は日光山麓にも東照社(現・日光東照宮)社殿を造営したが、3代将軍・家光の代になって日光山の東照社は
荘厳なものに大改築され、日本全国の東照宮の総本社的存在となった。
「寛永の大造替」と呼ばれる家光の改築事業以前にあった秀忠の代の社殿は
現存する久能山のそれ(当社社殿)と同様であったと考えられる。

楼門。

(広角18mm相当で撮影)
国宝・御社殿。

(広角18mm相当で撮影)
楼門に掲げられている
「東照大権現」。

家康公を神格化した名称ですね。
趣のある井戸。

桜の花びらが散っています。
灯籠越しの唐門。
御社殿の獅子。
司馬温公の甕割りの彫刻。
御社殿正面。
一番奥にある神廟。

家康公の墓所です。
家康公38歳の時の手形。

管理人とほぼ同じサイズでした(^^
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