【訪問日】 2009/8/14 | |
【観音寺城の略歴】 近江源氏の佐々木氏、後に近江国守護六角氏の居城で、小脇館、金剛寺城を経て六角氏の本拠となる。 周辺は琵琶湖や大中の湖、美濃から京都へ至る東山道、長光寺集落から伊勢へ抜ける八風街道があり、 それらを管制できる要衝に位置する。 室町時代の応仁の乱では、六角氏が西軍に属したため同族の京極持清に攻められている。 応仁の乱では3度、観音寺城の攻城戦が展開される。 1568年(永禄11年)、尾張の織田信長が足利義昭を擁して上洛の大軍を興すと六角氏は敵対し、 9月13日に信長に支城の箕作城を落とされると、六角義賢・六角義治は観音寺城から逃げ無血開城した。 そのまま廃城になったと伝えられる。 観音寺城は現在、1000箇所以上の曲輪があり、その多くが石垣で囲まれた日本国内屈指の大規模な 山城であったと見られている。山城の特徴として、居住に便利なように山麓に居館を設け、山上付近に戦闘、 防備施設があるのが一般的だが、観音寺城は山麓全体に分譲地、もしくは団地のような居住性の高い 曲輪が配されている点が他の山城とは大きく異なる。 防備のための城というよりも、権威づけ、政治色の強い城ではあったため、単純な虎口、竪堀などはなく 防御施設は貧弱と言われている。六角氏も本格的な籠城戦は実施せず、一旦城を明け渡した後に 勢力を整えて、再び奪取する戦術を何度もとっていた。 近くには西国33ヶ所巡りの第32番札所で有名な「観音正寺」、麓には日本で初めて楽市が開かれた 「石寺楽市」の地がある。(現在は同名の土産物屋があります。) | |
安土城のそばにある観音寺城。 麓からみた観音寺城跡(繖山) | |
麓の土産物屋「石寺楽市」 【日本100名城スタンプ設置場所】 100名城のスタンプ設置場所ですが、 ちょっと場所が分かりずらいです。 しかも、客が誰もいなかった・・・。 | |
で、観音寺城ですが、ここから徒歩で登山し、 60分ほどかかるとの事! (写真の赤矢印から黄色矢印を経て、 青矢印がゴール!) 当然ながら登城は断念! いずれハイキング目的でまたやって参ります! ちなみに観音寺城は信長が足利義昭を奉じて 京都に上洛する際に立ちはだかった六角氏の 城として、歴史上重要な城でした。 |