ダシオの館

姫路城


【訪問日】 2009/9/22

神戸・姫路の旅、ようやくメインイベントの姫路城に登城となります!

9時に開城なので、8時半にホテルを出て
突入!

・・・と思ったら、駅の案内所、9時からじゃ
ねーか!閉まってるじゃん!

ぐるりんパスにて、姫路城、好古園の入場券
と引き換え。ただし、引き換えた当日のみ
有効。


しゃーなしに15分くらい待つ・・・。
後ろを見るといつの間にか列が出来てました。
何か知らんが、列に1番乗り!(^^;
一番乗りで案内所に入れたので、
駅のレンタサイクルが借りれました。

無料です!
ただし、10台くらいしかないので、
早いもん勝ち!

疲労の溜まってる足に救世主です!
【姫路城 略歴】

1346年(南朝:正平元年、北朝:貞和2年)、赤松則村(円心)が姫路山上に築いた称名寺をもとに、
赤松貞範による築城説が有力。

16世紀前半、赤松支族の小寺氏が播州平野に台頭、その被官であった黒田重隆が城代として姫路城に
入った。重隆によって居館程度の規模であった姫路城の修築がある程度行われ、姫山の地形を生かした
中世城郭となったと考えられている。

1573年(天正元年)まで黒田氏が代々城代を勤め、重隆の子職隆、孫の孝高(官兵衛、如水)に
伝えられた。

1580年(天正8年)、黒田孝高は秀吉に「本拠地として姫路城に居城すること」を進言。
秀吉は、同年4月から翌年3月にかけて行なった大改修により姫路城を姫山を中心とした近世城郭に改めると
ともに、石垣で城郭を囲い、さらに天守(3層と伝えられる)を建築。
あわせて城の南部に大規模な城下町を形成させ、姫路を播磨国の中心地となるように整備。

1583年(天正11年)山崎の戦いの後、秀吉は天下統一の拠点として築いた大坂城へ移動。
姫路城には弟・豊臣秀長が入ったが、1585年(天正13年)には大和郡山へと転封。
替わって木下家定が入った。

1601年(慶長6年)、木下家定は備中足守に転封、代わって池田輝政が関ヶ原の戦いの戦功で52万石
(播磨一国支配)で入城。
輝政は徳川家康の意を受けて1601年(慶長6年)から大改修を行ない、8年掛けて広大な城郭を築いた。

1618年(元和4年)には千姫が本多忠刻に嫁いだのを機に西の丸が整備され、全容がほぼ完成。

現在の城郭は、関ヶ原の戦いの後、家康が豊臣恩顧の大名の多い西国を牽制する目的で改修させた城。
藩主は親藩および譜代大名が務めたが、池田家、本多家、奥平松平家、越前松平家、榊原家、
再度越前松平家、再度本多家、再度榊原家、再々度越前松平家とめまぐるしく入れ替わる。
1749年(寛延2年)上野前橋城より酒井氏が入城してようやく藩主家が安定する。

幕末期、鳥羽・伏見の戦いにおいて姫路城主酒井忠惇は老中として幕府方に属し将軍徳川慶喜と共に
あったため、姫路藩も朝敵とされ姫路城は岡山藩と龍野藩を主体とする新政府軍の兵1,500人に
包囲された。
両者の緊張は高まり、新政府軍の姫路城総攻撃は不可避と思われたが、摂津国兵庫津の勤王豪商・
北風荘右衛門貞忠が、15万両に及ぶ私財を新政府軍に献上してこれを食い止めた。
この間に藩主の留守を預かる家老達は最終的に開城を決定し、城の明け渡しで新政府に恭順する。
こうして姫路城を舞台とした攻防戦は回避された。

1945年(昭和20年)7月3日の姫路大空襲で姫路城下は灰燼と帰する。
城内にも着弾するが本城跡にあった中学校校舎のみが焼失しただけ、
また大天守にも焼夷弾が直撃したものの、不発であったことなどにより、城郭建築の消失は免れた。

1931年(昭和6年)1月、大小天守など8棟が国宝に指定、
同年12月には渡櫓、門、塀等74棟も国宝に指定。

1934年(昭和9年)昭和の大修理開始
1956年(昭和31年)天守大修理に着手。
1964年(昭和39年)竣工(完了)。

1993年(平成5年)世界遺産(文化遺産)に登録。
チャリを飛ばして5分ほどで城に到着!

入口の正面登閣口には入場券を
買う長い列が出来ていましたが、
我々は既に駅の案内所で交換してもらって
るので、すぐに入城できました!

ぐるりんパス大助かり!
世界遺産であり、国宝でもある
姫路城です!!

さすがに立派です!

入り口となる菱の門から左へ行った
西の丸からの眺め。
姫路城は何代もの城主を迎えたため、
瓦には歴代の城主の紋が入っています。

一か所、十字架模様のクロス瓦が
あるのですが、見忘れました・・・(>_<)
扇の勾配と呼ばれる美しい曲線の石垣。

戦に備えて登りにくくなっています。
怪談・播州皿屋敷のお菊さんで有名な

お菊井戸。

「一枚足りない・・・」
ギャー〜!!(^^;
いよいよ天守閣です!!

大天守のアップ。

朝一に来ましたが、それでも天守閣に登るのに、
40分ほど行列に並びました。

暇なので、こんなようなアングルの写真、
いっぱい撮ったった!(^^;
大天守と小天守を下から。

軒下の模様が美しい!

手前左が乾小天守、右が西小天守。
右奥が大天守となります。
天守内の「釘隠」(くぎかくし)

城内の随所に、全部で650個くらい
あるみたいです。
大天守最上階からの眺め。

駅から延びる大通り方面。
一対の大鯱瓦。

大天守最上階には長壁神社があります。
宮本武蔵の妖怪退治の伝説で有名みたい
です。
4枚上の写真の2つの小天守の間から
大天守を眺めれるアングルより撮影。

複雑な構造ですね〜!
入口の菱の門をくぐったところから
再度撮影。

よく使われるアングルですよね。
やっぱ美しいわ。
さすが別名・白鷺城!

入口へ戻ってくると、菱の門から天守までの
長蛇の列が出来ていました!
これだと3時間くらいかかっちゃいますよね。
やっぱ朝一に来て良かった〜。
姫路市のイメージキャラクター
「しろまるひめ」!!

うーん、城よりデカイのか・・・(^^;

姫路城、他にも見所はたくさんありましたが、なにせ人が多いのと、3日間歩きっぱなしで
足の疲労がピークに達していたので、適度に引きあげました・・・。

もうすぐ大天守は2014年くらいまでの約5年間、大改修工事に入ります。
2011〜2013年の間は素屋根ですっぽり覆われ、改修工事用のエレベータを利用して間近で見学できる
みたいです。その頃にまた来ようかな〜。
庭園の好古園も見てないし、近くの男山千姫神社も行きたかったし・・・。
でもまた人一杯だろうな・・・(^^;

2015年1月11日再訪2015年1月12日更新
上記、初登城記の最後で、平成の大修理中にまた来よう、と言っていましたが行く機会に恵まれず、
素屋根解体後の修理完成間近に再訪問しました。
外観はほぼ完成しており、グランドオープンは3月27日です。
京都へ行った2日目、
体調があまり良くない(風邪ひいたらしい)のでどうしようか迷いましたが、予定通り姫路へ向かいました。

新快速電車(京都駅→姫路駅 \2,270)

嫁は今日も仕事なので京都駅でお別れ。

姫路駅から見た姫路城!
平成の大修理も大詰めで、3月27日にグランドオープン予定です。
姫路観光ループバス。

これに乗れば良かったのですが、反対車線に来たのと、もう城も見えているので歩いていくことにしました。
(前回はレンタサイクルだったから楽だったのよね)
黒田官兵衛展、前日で終わってた・・・orz
(ま、ネットでリサーチ済みでしたが)
ま、姫路駅構内の観光案内所(前回レンタサイクルを借りたところ)で兜のレプリカを見たからいいか(^^;
いざ、姫路城へ!
(\400) ←天守内へは入れないので安くなっているらしい。
天守群を望む。
お色直しが終わった天守をズームで。
白すぎる感じはありますが、美しい!
徐々にいい感じになってくるのかな?
しろまるひめのパネル
この角度が一番安定してる?
ズーム!
お菊さんの井戸がある郭より。

ここから先はまだ通行禁止になっていました。
記念に自分撮り。
複雑な天守群。
西の丸より。
一番の撮影スポット?からの撮影。

人がいないときに撮るのはかなり難しかったが、粘って撮影。

でも鳥や枝が写ってる?
続いて、近くの好古園へ。

金沢城でいう兼六園的なお庭です。
(\300)
鯉の泳ぐ庭がキレイ。
背景に櫓も写っていていい感じです。
突然鎧甲冑の侍が登場!(^^;

他にも色々庭園がありましたが、この時期は花がほとんど咲いてなく、残念。

また別の季節に来たいと思います。


【メモ】
美術館、博物館、城見台、男山配水公園、手柄山からの姫路城撮影などが今回見れなかった。いずれ再挑戦!
2016年6月4日再訪2016年6月12日更新
会社の慰安旅行で訪れる。
今度は新しくなった天守内に入れることを期待したが、土曜で混んでいると、団体行動で時間が少なかったこともあり、定番の
アングルから数ショット撮って、お土産を買って、慌ただしく退散しました。
今度は平日に来てじっくり天守内も見たいです!

今回、一番のお気に入り。
つつじ越しの天守。
樹木の額縁風。
定番ショット。松の木と天守
一部、櫓がまだ工事中で布をかぶってました。完全に完成したときにまた来たいなー。

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