ダシオの館

松前城


【訪問日】 2008/9/13

最寄りの駅からバスで90分!という、車が無いとつらい所にある100名城です。
今回は家族での北海道旅行で、無理矢理コースに入れてもらいました。
(リッチに函館からタクシーを1日チャーター!)

幕末には激戦の地となった舞台ですが、今はとてものどかな情景で、落ち着く場所でした。
【松前城の略歴】
・蠣崎家(後の松前家)が慶長5年(1600年)から同11年にかけて陣屋「福山館」を築いた。
・嘉永2年(1849年)、幕府は北方警備を目的に松前崇広に築城を命じた。
この頃から「松前城」と呼ばれるようになる。
 ・「戊辰戦争」
 ・明治元年(1868年)、旧幕府の榎本武揚を首領とする軍勢が渡島半島の各地を制圧。
  元新選組の土方歳三が700名ほどを率いて松前城を攻撃。数時間で落城。
 ・しかし、翌1869年に榎本らの政権は降伏し、再び松前城は松前氏の領有となる。
 ・明治4年(1871年)の廃藩置県の施行により城は明治政府の領有となる。
 ・明治8年(1875年)には天守など本丸の施設を除くほとんどの建築物が取り壊される。
 ・昭和16年(1941年)に天守、本丸御門、本丸御門東塀が「重要文化財」に指定。
 ・昭和24年(1949年)火災により天守と本丸御門東塀が焼失。
 ・昭和34年(1959年)から36年にかけ、天守が松前城資料館として鉄筋コンクリート造で再建。


天守(松前城資料館)入口。

天守と本丸御門。

本丸御門(国重文)。どっしりした造りです。

本丸表御殿玄関(北海道指定文化財)。

搦手二ノ門から出た所の外堀。

搦手桝形の情景。手前に復元ジオラマがあります。

一番外側にある天神坂門。

北側から内堀越しに望む本丸天守。キレイです!

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